イメージする力を養うには、モノにとらわれない事が大前提 心が形をつくるから日本の心を大事にする

イメージする力 

養うためになにが必要か 

 イメージされたものを形として表すことを表現するという事になるのだろう。

 想像したものを、まっさらなところに投影し、創造して行く。想像と創造は対となっており、心が形として現れたものが表現物だろうから、より良い心を知る必要もあるし、イメージするを養う必要もある。

 では、どのようにして、養っていけば良いのか。心の話をしているのだから、心を養う必要がある。

モノにとらわれない事が大前提になりそう

 より良い心を見聞きし、繰り返し表現することを続けると自然と上達するだろうし、よりより心というものも、自然と見つかるようになる。

 心と表現されるものは、必ず一致する事から、見聞きしたもの、体感したものが、何かをきっかけに、形として現れているから、自然と、見聞きするものと表現されるものが、より良いものになる。 

 

GIANT KILLING(54) (モーニング KC)

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スポーツで考える

野球とサッカーを保守、革新で考えてみる

 スポーツをどう考えるのか。球技ならどうか。

 多くの球技が存在しており、形として現れているものも様々。競技者も、その競技に適した形になっており、より良いパフォーマンスを示すため、日々、トレーニングを行っている。

 日本の代表的なスポーツとも言える、野球とサッカーならどうか。

 日本では、プロ野球は歴史も古く、それにまつわる表現物も多く世に出ており、携わる人間も多かったろうから、そこに流れるお金の量も豊富。当然、多くの作品が世に出回る事になる。

 反対にサッカーは、プロ化して20年前後と浅く、野球と比較すると、サッカーを表現したものも少なければ、携わる人も少なかっただろうから、そこに流れるお金、また作品が世に出る機会も、少なくなる事がイメージできる。  

日本 

野球 プロ化してから歴史も古く 保守的

サッカー プロ化して歴史は浅く 革新的 

世界 

野球 普及はされておらず、比較は難しい

サッカー 世界に普及されており、歴史も長い 保守的

古い組織は守りたいから、自然と保守的になる

 野球は、プロ化してから歴史も古く、野球から育まれた人々も高齢者が多い。日本全体で考えると、数量的に多い事から、野球に対する、良くない表現を好まないことも理解できる。育まれた心を悪く言われて、良く思う人間がいるはずもない。なので、守りたいと思う心は自然。保守的。

 サッカーはプロ化して20年前後と浅く、ファンの層も若い人が多い。また、数量的にも少ない事から、野球を保守的とするなら、日本を家とすると、それに挑む息子くんに見える。反抗期の息子くん。

 革新的 “左”と言えるだろう。古い体質の家を変えたい。保守的なお父さんに反抗する息子くんといった印象をサッカーからは受ける。

 野球は保守的 ”右” サッカーは革新的 “左” 

 世界は日本の事情と異なり、野球はマイナー。サッカーはメジャーと考えられ、大きな組織ほど守ろうとするから、保守的に自然となる。

 右左が日本と世界で反転しいる。

 

日本は天然

日本はマイノリティー 文化圏は小さい

 右左が日本と世界で反転しいる。

 サッカーと野球の比較だけでなく、多くのところで見られているようにも見える。日本はマイノリティーだからだろうか。

 日本語を扱うのも、世界では、そう多くはないし、日本の文化圏というものも、そう大きくない。そういった事も理由になっているだろうから、反転していることや、保守的になりがちになる事も理解できるところでもある。

 

“心が形をつくる” 日本の心を大事にする必要性

 全て、日本の内外を一致させる必要もないと考えており、日本の独自の良さというものを守る必要がある。日本独自の良さは、心に違いないから、心の部分まで、世界と一致させる必要はない。心まで、世界と同じなら、日本である必要もない。心が日本でないなら、日本に魅力はない。

 ものとしては、世界と比較しても、そう良いものでもない。良い心があるから、日本は良いのではないのか。冒頭からあるように、心が形をつくるから、そういった良い心を大事にしていきたい。そのように考えている。

 

日本は苦手、幼少からの経験

両親も友人くらいの感覚なら、付き合いやすい 

 日本は苦手にしており、幼少期から経験してきた事が理由になっており、どうも、自分は日本とは合わないのだろうと考えている。この年齢まで、周りの人と一致することはなかったし、家族の中にいても、一致はなかった。実の家族でもあるし、悪い人たちでもなかったが、一致させるのは難しく、考え方を変える必要がありそう。

 親と考えなければ良いのではないか。親ではなく、兄弟や友人と考えたらどう。悪い人たちでもないし、心を育んでくれた人でもある。合わないからと、関係人たちとは出来ない。ただ、合わないというのも本当のことだし、今後もそれは変わらないだろうから、親ではなく、友人くらいの感覚なら、付き合いやすいのかもしれない。

誤解されても本音なら理解されたのと変わらない

 確かに、日本と一致させることは出来なかったが、モノを考える際に、日本語で考えている事に気づかされる。モノをイメージするのも日本のものごとを日本語で。どうやら、心は日本だし、一致することはなかったが、日本人らしい。

 誤解の中で、成り立ってしまった可能性もあるから、できるだけ、自らの本音を表現する。誤解されたとしても繰り返し行い、本当の自分を知ってもらう。本音から発せられたモノなら、誤解だとしても理解されたことと変わらないから、できるだけ本音を述べていきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

 

養うにはサッカー

サッカー選手がボールを常に追うことはない

 イメージする力を養うには、野球とサッカーどちらが良いのかと言うとサッカーに違いない。

 競技の違いにある。サッカーはボールを追いかけない。ピッチ上に11人の選手がおり、相手チームを含めると22人がいる事になる。そこにボールは一つだけ。

 22人全てが、常にボールを追いかけてプレーすることはない。ボール一つ22人が群がる事になってしまう。

 

“競技の特性の差” 自然とサッカーは養われる 

 常日頃から、イメージを共有する必要もあるし、そのためのコミュニケーションをはかる必要もある。また、共通認識を高める必要もある。同じものを見聞きして、同じように感じる必要も。

 国際信号旗にも近いか。身振り手振り、仕草で意思が伝えられた方が良いだろうから、国際信号旗にあたる何かを共有する。

 野球にも似たものがあって、監督から出るサインがあたるのだろう。ただ、監督、コーチが主に行い、選手がそれを確認する。コミュニケーションに違いはないのだろう。

 競技の特性の差とも言えるが、野球はボールから目を離さず、常にボールを見続ける必要もある。モノを見続ける。

 サッカーは、ボール以外にも、ピッチ上の選手、自軍、相手の位置も把握。モノには違いないが、イメージする必要がある対象が多くある。

 常日頃から行う事から、自然とイメージする力は養われるのが、サッカーという競技は宗うものと言えそう。